
そうすると、その音楽を聞いた人というのは最初はわずか1000人であったかもしれないけれども、そういった音楽そのものを聞かなくても、それを聞いた人たちの評価や情報が世界の何十万人、何百万人という人たちのところに聞こえていくようになる。そして、そういうことになると、各地で再演を計画するところも多くなる。つまり発信という言葉は、そういうことを意味しているのではないかというふうに思います。 ですから、大もとはわずか1000の人しか聞かないのに、べートーベンの「第九」は確かに人類のものになった。その時代ですから、これはかなり時間をかけてそういうふうになったには違いないんだけれども、音楽がそういった社会的な要素を持っようになったと言えると思います。 こういうような演奏会形式が生まれるにつれまして、19世紀に入ってきますと、音楽の世界もだんだん非常に複雑になってくる。それから、いわゆる今で言うメディア、ラジオみたいなものもだんだんできてくる。レコードもエジソンが発明してだんだん商業化してくる。今度は、そういった別な伝達の方式みたいなものがたくさん出てきまして、だんだん作曲、演奏、聴衆という図式の間にいろいろな社会的要素が加わってきて、複雑になってくる。そのことをちょっとここで図示しておきます。よく見えないかもしれませんけれども、要するに作曲家というのがあって、演奏家というのがあって、作曲家の作曲したものを演奏家が音にして、それが聴衆に伝達されるということになるわけです。 ちょっと今言い落としましたので、1つだけつけ加えておきますが、先ほど作曲家と演奏家が分離したということは申し上げたんですが、演奏家が分離したということによって非常に大事なことが1つあります、それは、演奏家ができてきたとき、演奏家は初めは近所の顔見知りの作曲家がっくったもの、恐らくウィーンならウィーンでべートーベンが曲をつくった。そうすると、ウィーンにいた顔見知りのピアニストは、べートーベンに「これを弾いてくれよ」と頼まれて弾くというような関係をもっていたわけですが、そのうちに顔も知らないよその人、あるいはもう死んでしまっていなくなってしまった人、そういう人たちの楽譜を持ってきて、それを弾くということを始めるようになったわけです、つまり、クラシック音楽の起こりです。 クラシック音楽というのはこのことを言います。クラシックとは古典と訳しますけれども、古くて「典」は模範になるものというような意味だと思います。今から200年、300年前、バッハなんていうのは300以上前です。その人の楽譜をもとにして、その人の作
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